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ひびのいろいろ

子どもに関係する仕事

子どもを援助する仕事

 僕は子どもに関係する仕事をしている。子どもに関係する仕事というのはやりがいがある分、本当に危険な側面を持つ。

 長い経過の中で子ども達が自分の力で成長し、環境に負けない逞しさを見せてくれた時はこれほど嬉しいことはない。逆に自分が励まされたりすることも少なくないし、大いに(僕自身が)満足できる。この仕事をやっていてよかったな。と思える一つの要素だ。

 しかし、人間は全ての人が幸せになれるわけではない。逞しいわけでもない。運命というものは絶対的普遍的に存在するし、『運の悪さ』というものを宿命的に背負った子どももいるのが現実だ。頑張れない人もいる。だから僕らはそういう子ども達にも付き合う覚悟を持たなければいけない。どうやったって駄目なことはどこの世界でもある。

「世界に一つだけの花♫」と口ずさみながら、全ての人は幸せになれる! と断言できる程、僕には力もないしそういう世界は絶対に来ない。

どんなきれい事を言ったって世界のどこかで子どもは理不尽に死んでいるし、どんなに福祉制度が進んだって虐待を受ける子どもはいる。

そんな子ども達や大人に向き合う時に自分のやりきれなさ、無力感を怒りのエネルギーに変えずに自制する必要がある。

ダマジオ(注1)が描いたように、人間の意思決定(decision making)というのは結局情動に左右される。『情動に左右される理性』というものの存在を自覚してゆく覚悟が常に僕らには求められる。それ故に自分の感情をモニターする(しようとする)ことは大事なんだ。しかしこれは非常に難儀な作業だ。

二つのタイプ

 いわゆる子どもに関係する福祉職につく人々は大きく分けて二種類の人がいるのだと思う。

  1. 一つは自分の幼小児期からの葛藤をこの仕事につくことによって解消したいと意識的あるいは無意識的に考えているタイプ。
  2. もう一つは、自分の自己愛を満たすことに限りないヨコこびを感じるタイプ。

おそらく自分はこの二つの部分をかなり持っている。認めたくはないけれど、持っている。そしてそれを否定しようとする自分が常に僕の内面にいる

ようは原子力発電所みたいなもので、自分の中の抹殺したいようなダークな部分、毒の部分を飼い慣らさなければいけない。そういった毒の部分がある程度なければ、僕は生きてはいけないし、仕事もできないだろう。『自分が認められている』という感覚は人間が生きていく上で最も大事なものだと思うから。しかし、その怪物に食い尽くされる覚悟を常にもち、怯えつつも自分でモニター(監視)しなければならない。絶対的な毒、どろどろしたものが僕らの心の中(全ての人のこころの中)には存在するのだ。容易にその怪物は自分を食い尽くし、そして周囲にも影響を及ぼす。

しかし、子どもを相手にする仕事というのは時に自分の内面をものすごく満たしてくれる(ように錯覚する)出来事に直面するのも事実。

トラップみたいなもので、そういう出来事が自分をどんどん盲目にさせていく。そして結局は子ども達を不幸にしてゆく。どんどん自分が怪物になっていく現実ととなり合わせなので。

自戒を込めて、思う所が色々あってこんな文章を書いてみました。

註1) 無意識の脳 自己意識の脳