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ひびのいろいろ

何者でもない自分

30代後半、もうすぐ40代という自分の年代はそろそろ自分の立ち位置というか、器が分かってくる年代だ(と思う)。言い方を変えれば先が見えてくるということにもなる。

『人生の選択枝』がどんどん狭くなってきて、子どもの頃無限大だと思っていた可能性がどんどん加速度的に小さくなってゆく。

そういう中妙に共感してしまったのが、今話題になっている以下の記事。

先日、twitterでこういう言葉を拾いました。「きっと何者にもなれないオタクに限って、写真…カメラ極めようとするよね。」なんとなく同意するところなんですが、ここで質問です。自分を何者だと考えますか? - 平民金子インタビュー:

「きっと何者にもなれない」あなたへ - 琥珀色の戯言:

結局のところ、「医者としての評価を極める」ことに限界を感じると、高級外車を乗り回したり、夜の街で顔になったり、お金を稼ぐことに執着しだしたりする。なまじっか、「何者かになろうとして」医者になってしまったばかりに、「自分が何者でもなく、医療という大きな機械のなかの、いくらでも代わりがいる1個の歯車」でしかないことがつらくてしょうがない。

特に二番目の記事は同じ医療関係者として凄くよく分かる。

『何者でもない自分』に対してのもがき苦しみから脱していきそこから一歩づつ、高望みではない何かを積み上げていくのが30代からの人生なのかな と自分的には想う

『足るを知る』古来からの日本人の生き方ってここにあるんじゃないかと想う。全ての職業を尊びどんな仕事をあてがわれても一生懸命やる。そこに生き甲斐を見出し、自分の全てを尽くす。職業に貴賎なし。日本独特の考え方であると思うけど、この考え方は僕は大好きだ。まあ別に仕事だけの話ではないけど。自分を知り、運命に沿って生きていければ素晴らしい。

目標を設定し、それに従って日々の日課を決め、自己実現をするというのは西洋的な狩猟民族のやり方なんだろうと僕は思う。日本人が同じことをやろうとしてもどうしても無理なんじゃないかなあ。例外的にどんどん進んで行く人もいるんだろうけど。

身の丈の範囲で地道に自分の出来ることをやっていくことがとりあえずの目標かな。決して妥協ではなく、自然な形で淡々としかし真剣に生きて行くのって格好いいな。

でもその一方で人間ってこんな映画にも感動しちゃったりするんだよな。ホント面白い。